『「通貨」を知れば世界が読める』(浜矩子、2011)
筆者は、ドルは人々の信任を失い、人々はドルを使わなくなり、基軸通貨の座から落ちていくだろうといいます。
それまでには、1ドル50円というときもあると。
そして一つの国の通貨が基軸通貨であることは、なくなります。
単一の通貨(欧州のユーロ)のかたちの通貨も、なくなります。
金が通貨に戻ることも無いでしょう。
では、世界通貨秩序はどのようなものになるのでしょうか。
世界共通の通貨が新たにつくられます。
そして、グローバルになることのない地域通貨が、一般の人々を支えます。
<以下一部抜粋・要約>
「最後の金本位刻」の栄光
通貨の歴史も黄金とともに始まったと言って良い。
無論、徹底的にさかのぼれば、その起源は貝殻だったり、巨石だったりもする。
だが、経済取引がそれなりに体をなすようになった頃からは、もっぱら金がその仲介役として圧倒的な存在感を持つようになった。
金貨の輝きが人々を魅了し、要は金本位制の時代を迎える。
それが19世紀初頭のことである。
世界初の金本位国はイギリスだった。
金本位制下においては、ある国が保有する金の量によってその国の通貨発行が制約される。
いわば「金の切れ目が金の切れ目」のシステムである。
このシステムは通貨節度を守ると言う意味では非常に優れた制度だが、経済成長に対しては抑圧的に働く。
かつて多くの国が金本位制を採用していたが、いずれも結局はこのジレンマに耐えかねて、金本位制を放棄することになった。
その中で、いわば最後の金本位国としての地位に立つに致ったのはアメリカであった。
黄昏を迎えつつあるドル
基軸通貨というものは、世界で幅広く使われるのであるから、潤沢に出回ってもらわなければ困る。
供給不足は禁物だ。
だが、あまり出回りすぎると値打ちが落ちる。
値打ちが下がったのでは、そもそも基軸通貨としての基盤が揺らぐから、これも禁物だ。
要するに、基軸通貨は希少価値があると同時に流動性が十分に出なければならない。
かくして、希少性と流動性を同時に満足させる事はきわめて難しい。
結局、この呪いの重荷に耐えかねて、アメリカはドルの金交換を停止した。
通貨の「21世紀的回答」とは何か?
新たな夜明けはどのような形で来るのか。
これがなかなか見えてこない。
新たな基軸通貨国の出現に期待をかけるわけにはいかない。
となれば、さしあたり、すぐ出てくる2つの方向性がある。
その第1が世界単一通貨制への移行、そしてその2が金本位制への復帰である。
これらのいずれかが新たな夜明けに通じるのか。
どうも、そうでは無いように思う。
世界単一通貨には、いかにも無理がある。
今日のユーロ圏を見れば、それは明らかだろう。
金本位制の復帰も、極めて考えにくい。
そこまで歴史を後戻りさせるには、経済が地球化し、巨大化しすぎている。
歴史は繰り返す事はあっても、後戻りはできないものだと思う。
21世紀の通貨関係には21世紀的回答が必要だ。
では、その回答とは何か。
さしあたり1つだけ重要なキーワードを上げておきたい。
それは「地域の復権」である。
それでも「1ドル50円」になる理由
完全に基軸通貨国であることを放棄したアメリカ
1ドル50円時代の到来を主張する理由は2つある。
1つはドル側要因、もう一つは円側要因である。
まず、ドル側の理由であるが、「ドルの過大評価が修正される力学はもはや抗いがたい。
その流れは日本に何があろうと、それとは無関係に動き続ける」ということである。
震災で判明した、円の本当の実力
ここにも隠れ基軸通貨の秘めたる威力が現れている。
あれこれ言っても、そう簡単に円を手放すわけにはいかない。
そのような構図がグローバルな通貨金融市場において出来上がっているということだ。
まったく新しい「円」の時代へ
高い円が地方を活性化させる!?
ここで、話を日本と円に戻すことにしよう。
1ドル50円時代との付き合い方を考えてみたい。
何はともあれ、ここには心機一転のための大いなる可能性が秘められている。
そのような受け止め方が肝要だと思う。
ポイントは、今日の日本経済が当面している諸問題と1ドル50円という枠組みをどううまく結びつけていくかだ。
円が高いということは、いうまでもなく、日本の対外購買力が高まることを意味している。
大英帝国時代、バックス・ブルタニカ時代のイギリスは、ポンドの圧倒的な購買力を利用して世界からものと英知を引き寄せた。
決して大きくは無い島国国家が、その購買力を基盤に世界を制した。
日本の地域経済がそれぞれ小さなイギリスになったつもりで外との関わりを強化していけば、そこに新たな自己展開の余地が生まれるはずだ。
世界ではじめての、まったく新しい可能性への挑戦
ここまで通貨の歴史を振り返ってみて、つくづく思うことがある。
今のような時代環境の中で、日本ほどスケールの債権大国が超成熟時代を迎えるというのは、今までなかったことだ。
そういう意味で、今や、日本の前に前例はない。
これからの日本経済は、自らが実験台となって新天地を切り開いていくしかない。強い通貨と豊富な債券、そして知恵と工夫を用いて、いかに豊かな国を築いていくか。
前人未到の大人の世界を自力で構築していくのである。
なかなかワクワク感を伴う状況だ。
日本が自らを実験台とする実験の主舞台は、やはり地域社会ということになるだろう。
そこから発信されていく新しいメッセージに応える形で、日本の政策も政治も変わる。
来たるべき「21世紀的通貨」のあり方とは?
イタリアのある街で生まれた「甘いもの通過」
「自分も地域通貨には関心がある。
イタリアの多くの地方自治体や地域共同体は、地元だけで通用する地域通貨を持っている。
ご存知の通り、その実態は要するに地域限定商品券のようなものだが、その発祥の経緯は様々だ。
現に、私はキャンディーから地域通貨が生まれた事例を知っている」
小銭不足に陥った町の店主たちは、致し方なく、お釣りの代わりに小粒のチョコレートや飴玉などを買い物客に手渡すことにした。
スイーツが通貨に変わる時
お店屋さんたちは、いつも、キャンディーやチョコレートを用意しておかなければならない。
どれくらい常備しておかなければいけないか、めどが立ちにくい。
そこで、賢い店長さん達は次の一計を案じた。
スイーツの現物を、「引換券」に切り替えたのである。
かくして、売り手・買い手の合意のもとに、甘いものの現物が引換券に幅広く切り替わっていった。
そうなると、次に何が起こるかは容易に想像できる。
要するに、引換券が現物に引き換えられなくなるのである。
引き換えの権利行使が見送られるようになる。
その代わりに、引き換え券そのものが、一定の通貨価値を表す「証明書」として流通し始める。
単一通貨ではなく、共通通貨
ここで1つのモデルを提示しておきたい。
それは、「三段構えの3D的通貨構造」である。
これを構成する要素の1つが、「共通通貨」である。
共通通貨とは、「国々がそれぞれフランやマルクや円といった独自通貨を持っていながらも、それとは別に、共通して使う第3の通貨を持つこと」である。
「第二ブレトンウッズ会議」を開かねばならない、ということになる。
世界通貨を「短足通貨」が支えるというモデル
そしてその体制を地域通貨が下から支える。
がっしりした短い足を持つたくさんの通貨が、通貨体制の基盤を構成するというわけだ。
短くても、しっかり足元が固まっている諸通貨がひしめき合いながら、共存している。
そしてその上に、国内向けの通貨があり、さらにその上に「共通通貨」が存在している。
そんな、がっしりした短足通貨に支えられた集合体として、グローバルな通貨秩序ができあがる。
通貨の三元構図だ。
いわば、「3D」型のグローバル通貨秩序である。
私(チキハ)の感想です。
筆者の想定するのは、一国の通貨が基軸通貨になるのではなく、単一の通貨でもなく、世界共通の通貨であるということです。
そして、各国の通貨があり、それを、各地域の通貨が支える、というものです。
一つの国の中にもいくつもの通貨がある、お財布の中にはいくつもの通貨が入っている状況です。
私たちは、いろいろなポイントで買い物をする仕組みにも慣れています。
一つや二つ通貨が増えても、さほど混乱は無いように思いました。
この本の中で私が1番興味深かったのは、円は世界の人が手放さない通貨である、という表現でした。
なぜ私たちは、こんなに国内で、日本を自虐的に言われる中で育ったんだろうと思いました。
今は、日本は非常に豊かで平和な国だとつくづく思います。
そして昔のイギリスがそうだったように、高い購買力を持つ強い通貨と、他の国にお金を貸している世界一の国であるということで、
日本の1地域が1つの国のようにして、世界の市場に伸びていくイメージ、というのが、新鮮で面白く思いました。
こちらでは、ロン・ポール氏の「中央銀行廃止論」を、歴代のアメリカ大統領の闘いを織り混ぜながら解説しています。
中央銀行が無くなる時、ドルが基軸通貨でなくなる時、新しいグローバル通貨秩序はどうなっていくのか、考えさせられます。
2022.5.21【米国】パウエルFRB議長再任!米政府とロスチャイルドの通貨発行権の戦い【及川幸久−BREAKING−】 - YouTube