自分を愛し楽しむということ
最近自分を愛するということを意識しながら生活をするようになっていて、自己愛って、自分の短所も長所も受け入れて、自己統合することなんです。
ある日、とても強い性欲があって、驚いたんですが、相手が欲しいと思ったときに、考えたんです。
性欲を満たすための相手が必要って、自己愛に取り組んでいる身としてなんかずれてはいないかと。
これ、自分で満たせるんじゃない?
以前見た動画を思い出しました。
ご夫婦で10年以上セックスに取り組んでいて、まだ「創意工夫と試行錯誤」を続けていると、その中で「アダム徳永」という人の名前が出ていました。
それからyoububeでこのアダム徳永氏がスローセックスを紹介している動画を見ました。
私はしばらく性的に興奮状態が続きます。
その後性欲は落ち着くんですが、体の中に性エネルギーが循環しているように感じます。
(私は自己流でチャクラの浄化と活性化をしているので関係があるかもしれません)
貧血気味だったのに気が付くと、長湯の後の立ちくらみがありません。
自己肯定感も感じます。
これは何かあるなと実感します。
アダム徳永氏のyouyubeでは実践的な話が多いですが、上記夫婦の話では、深い考えが基にあるということなので、本を読むことにしました。
攻撃性のない(悪魔性でないと言いましょうか)、戯れるという行為と、その意識には愛の交流があると思いました。
なので、多種多様になるのですね。
<以下一部抜粋・要約>
第7章
セックスをする究極の目的とは
まず真実を言います。
それは、セックスの真髄は、”気(性エネルギー)の交流”にあるということです。
パートナーと「気の合う二人」というハッピーな関係になるためにとても大切なことは、「相手を認めてあげる」ということです。
自分とは違う相手だからこそ相手に興味が湧くという、本来の自然な男女間の磁場に回帰できるのです。