遠くにいて、見たり聞いたり出来ないのに、知覚出来る。
私は、思考の力で人の言動や行動の裏にある動機や意図を判断していたときに、うまくいかなくて闇に落ちることがあった。
そのうちに、思考の力ではなくて、直感だけで判断するようになっていった。
例えば、何かの棒に向かってこう質問する「イエスかノーか」棒が縦に触れればイエス、横に触れればノーである。
そんな簡単なことではあるが、ときに驚きの判断が出る。
「本当にこれでいいの?」と思うが、後になってそのわけがわかったりする。
そういった能力にも、素晴らしく高い人もいれば、そうでない人もいる。
だから、私の未熟な技術と精度を自慢したいわけではない。
ただこの頃は、今までになかったことが起きて、驚いている。
あるとき私は空を見上げて、ある人物について想いをめぐらせていた。
雲は、鶴とライオンになって、向き合って口論しているような形になった。
「あまりに違う二人なのだ。喧嘩するのだな」と不安になった。
するとTwitterに「喧嘩慣れをしている人は、仲良くなるために喧嘩するのだ」と上がっている。
また空を見ながら、「どんな焼き菓子が好きなのかな」と思っていたらそれに応えるようにアールグレイのパンとバスクチーズケーキが載っている。
これは普通じゃない。
イメージワークをするとき、相手に向き合うイメージをして黒龍にサポートをお願いするというものがあった。
私は相手に了解を得ていないときは、たとえ癒しのエネルギーや浄化をするにもやらないほうがいいと思っている。
そのときは、私自身のカルマの解消のつもりで、心の中で黒龍を想っていた。
ところがである。
黒龍がTwitterに上がっている。
この現象はなんなのか、こんなことはありえない。
その人物には、テレパシー能力がある。
私がその人物との不思議な現象を初めて体感したのは、夢の中だった。
多分、同じ夢を見たと思う。
それから、このような不思議な現象が起こっている。
「去り際のロマンティクス」という歌詞を読んだ。
二人の再生の記録が終わる
新たな入り口にも立てていない
あの世界に背を向け、このもどかしさと二人で生きる
といった内容で、意味深なのだ。
再生ということは、過去にあった出来事をくりかえしているととれる。
解説をしている人も、そこには触れない。
それは、二人の過去の物語かもしれないし、人類の歴史かもしれないし、輪廻の物語かもしれない。
あの世界に背を向けるのだ。
本の隅
走り書きされたその胸のうちはまだ
入り口にも立てていないと思うから
二人は淡い安らぎを手にするために、何も書かれていない本を開くのだ。
私は自分の置き去りにした想いや捨ててきた思いを掘り起こしている。
自分の心境を重ねている。