私もやっとそのようなことが書ける心持ちになったのである。
随分と時間がかかったように思う。
人生の節目に「感謝」を伝える場面は誰しもあると思うが、私にとってのそれは心のどこかでは嘘くさく腑に落ちないのであった。
心がひねっくれてしまっていたのだと思う。
はじめは、その状態からだった。
さて話を進めよう。
そんなひねっくれた状態から、変化していったのは、人の受容という態度であった。
私はある程度は、人から理解されないと思いながら書いている。
反発や嫌悪、無理解があると思っている。
人は離れてゆくだろうと思っている。
だが、書いても書いてもそうならない人がいた。
逆に共感や好意、理解の深さを示している。
さよならにはならないのである。
さらには、成長を促進さえする。
それを何というのであろうか。
私はその高さの父性を知らない。
尊い人だ。