9月17日
リズブルボーの本で、分かったことがあります。変わってほしい、と思う相手は「自分を映す鏡」だということです。
一番変わってほしい人の、いいところ、悪いところを書き出して、自分の中にそれがないか確認するのです。
やってみますと、それが自分にあることが分かって、ゾッとするのです。例えばこんなこともありました。
「あの人、『子どもには怒らないから』って言ってるけど、いつも怒ってる。
怒っているつもり、がないんだね」
なんて思っていたのです。しかし、あるとき子供と話をした後、自分を振り返って見ると、
なんと怒っていたことに気付いたのです。本当に驚きました。怒っているつもりがなかったのです。
あるときは「いつもイライラしているところ」と書いたのです。私はいつも、自分は穏やかな人だと思っていたのです。
人にもそう言われています。しかし、心の中で、いつもイライラしていることに気付いたのです。ショックでした。
金ちゃんにもその「鏡の法則」を話して聞かせました。しかし、認めたくなかったのではないでしょうか。
まさか犬山先生と自分を振り返って、同じ悪いところがあるなんて、考えることさえしないでしょう。大体、タイプが違いすぎます。
私だって、父や、上司、夫の悪いところが自分にあるなんて考えたくもない。そう思っていたのです。
テレビでは樹木希林さんが亡くなって、夫の内田裕也さんとのことを語ったインタビューが流れていました。
「私は怖いものがないんです。死さえ怖くない。内田裕也さんの中の汚いものをかき分けて、かき分けて行くと、
きれいな鏡があって、そこに一番怖いものが映る、私です。内田裕也さんは私のために存在している。あの人の中に私がいる」
というようなことを言っていたのを見てしまったのです。
このタイミングで、ため息です。〈やっぱりか〉私が今、このテレビを見ていることに何かメッセージのようなものを感じました。
〈自分の中にある(見たくないもの)と正面から、向き合うのか〉この作業は、楽しいものではないですね。
「やっかいな」「怖ろしい」気持ちがします。しかし、傷を受け入れることが出来たときに、愛というものが分かる、
ということですからその汚いものを、その人が見せてくれているわけで。そのことを知り、受け入れていくことが必要なわけです。
リズブルボーの三角形になぞえると、私が相手を愛することと、私が私を愛することは同じなので、
一番出来そうなことは、自分が自分の汚いものを、受け入れていくことなのですが。それが
うまく幸福感につながらないな、と思っていたのです。「快」の感じが味わえないからか、即効性がないからなのか。
ちゃんと勉強しないと私には難しすぎるのでしょうか。
ある日、霊能者の動画をみていて、夜怖くてねむれなくなり、夜中に目を覚ましたあとも、とても怖くなって心臓がバクバクして、
頭から怖いイメージが次々わいてくるので困っていたのです。これは脳に栄養が足りないのか。考え方なのか。
霊を呼ぶ体質か。神に祈ってみたり、良い言霊を言ってみたりしたのですが、怖いイメージがカミソリの刃のようにすっと、入り込むのです。
恐れを無くす方法、幸福感を得る方法、具体的にどうすればいいのだろうかと思っていたのです。
ある日、ユーチューブでヨガをしていたんです。仰向けに寝て、深い呼吸と、「自分の体に感謝、自分を内観して、受容する」
とナビゲートされて、「安心と幸福感」がわいてくるので、驚きました。〈これだ、この感じだ〉とその時、思ったのです。
瞑想状態の脳の状態に近かったのかもしれません。そして、ヨガで救われたと、思ったのです。
「自分の体に感謝、自分を内観して受容する」言葉は少し違いますけども、具体的な方法として、とても良いと思いました。
少しずつ、進化してゆくことを信じて、やり続けること。今日、金ちゃんは、明るく話しかけてきます。
〈なんなんだ。私が変わって、それを映す鏡なのか?〉