ユタカ2イキルオテツダイ

ほんの少しずつ、ゆたかになってゆきましょう

有隣堂の雑貨

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親とか友達とか周りの人たちから

理解されることを期待しないで、自分の体と感情と感覚をコンパスにしてみる。

それを意識して探索のためにふらふらした。

どこに向かうのかもあまりちゃんとしていない。

感覚がこっちと示す方向に行く。

吸い寄せられたのは、その店にいる人たちの様子だった。

明るくて清潔で穏やかな感じがした。

「有隣堂」書籍・文房具・雑貨の販売、併設カフェ、である。

目的が、自分の素直な感性に従うのであるから、それに従う。

入り口からふらふらしながら眺めた。

手芸の雑誌を手に取る。

中学生くらいのときに、毛糸をオレンジに染めて、セーターを編んだ。

胴体と肩のつなぎ目が、本ではよく分からなかった。

苦い思い出だ。

あのときに出来なかったことを、今なら出来るかもしれない、と思う。

かわいらしいデザインと、新しい色に興味がわく。

そのうち、そのうち、などと思う。

雑貨のコーナーに足が向いた。

美しい葉牡丹が描かれた便せんを見た。

手に取ると、ドキドキするのである。

私は、自分を観察した。

表紙をめくるともっとドキドキした。

わわわ、とかなっている。

なんでだろうなんでだろう。

葉牡丹のイラストが右上にあって、和紙のザラついたしかし漂白された真っ白の、程よい厚みの紙。

そこに書かれるであろう文字の筆体や内容が思い浮かぶようなのだ。

黒の万年筆で、文のかたまりは中央寄りで両サイドの余白が多くて、書かれるのは、おそらく、とても美しい文章なのだ。

そんなことを想っている。

どうしようどうしよう。

なぜかとても動揺している。

それを書きたいのであろうか。

これも中学生くらいのときに、夜中に1人でレターセットや何も書かれていないノートを見てドキドキしていたのを思い出した。

少女趣味~と、自己批判はしてはいけないのが原則である。

そして、ここで自分を抑えて素通りしてはいけないのである。

自分と向き合うのだ。

恥ずかしいのであるが、これが好きなのだ。

あぁ(ガクッとひざを折る)。

私は冷静で男前なのに。

そんな自己イメージがこわれるではないか。

だから、こんなに心が抵抗してあせっているのか。

こんな純粋な気持ちで、ものに向き合うことが長らくなかったのだ。

そのあたらしい印刷技術によるデザインと色彩は、より新鮮に感じさせた。

しばらくそこで没頭したにゃ、、、。

そして、レジに並んだ。

なぜこれを行うことがそんなに恥ずかしいのか。

袋はご入用ですかと若い細いお兄さんが言う。

ああああ、私はかわいいランジェリーを買っているわけではないのに、下を向いてそっけなく答えるのである。

これはどういった心境であろうか。

この人は本当はこういうのが好きなのね、と見透かされているような気がする。

新しい自分と遭遇すると意気込んでいたのに、そのあとそそくさと家に帰って、息を止めて細部に見入った。

YouTubeを見たら、30代の哲学者が「衝動」の話をしていて、それは過激な、という形容が付く感情のことらしい。

「必要」といった理由ではないそれが「幸せ」につながるという話だった。

私が今やっていることと近いと思った。

私は感受性や共感力が高く、他人やその場の空気に影響を受けやすく適応しやすい。

そのため、他人や集団の最適解を考えてしまい、自分を見失ってしまう。

その能力を今度は、自分に向けるということをしている。

まずは自分のエネルギーが何によってプラスになり、何によってマイナスになるのかを知り、自己調整・調律が出来るようになる。

ということをやろうとしているのだ。