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経済学の宇宙

『経済学の宇宙』(岩井克人、2015)

<以下一部抜粋・要約>

第1章生い立ち

「1、2、3… 無限大」から

『不思議の国のトムキンス』は、銀行員のトムキンス氏が、夢の中で、速度の上限である光速度が、実際よりもうんと遅く、エネルギーの下限であるブランク定数が、実際よりもうんと大きい不思議な国に迷い込み、相対性理論や量子力学を日常的に体験する話です。

『1、2、.3…無限大』では、無限の部屋を持つホテルの話がありました。

有限の部屋しか持たないホテルの場合は、満員になれば、新しいお客は泊められません。

しかし、無限の部屋を持つホテルの場合は、すでに満員になっていても、1号室の客を2号室へ、2号室の客を3号室へと、順序立てて無限に移動させていけば、新しいお客をいくらでも受け入れることができるという話です。

不思議ですが、どこにも矛盾がなく、真理として受け入れざるをえません。

無限の世界が有限の世界とは根本的に違う性質を持っていることを、初めて知ったのです。

実は、ずっと後に経済学者になって、「貨幣論」を研究し始めたのは、この無限のホテルの話が1つのきっかけになっています。

貨幣とは、モノとしては、ほとんど何の使い道も持たない金属のかけらや紙切れや電子記号に過ぎません。

私がその金属辺や紙切れや電子信号を100円や1000円や10,000円として受け取るのは、それ自体をモノとして使うためでなく、他の人が100円や1000円や10,000円として受け取ってくれるからです。

そして、その他の人も、私からその金属片や紙切れや電子記号を喜んで受け取るのは、それ自体を使うためでなく、さらに他の人がそれを100円や1000円や10,000円として受け取ってくれるからです。

すなわち、貨幣とは、1つの部屋からもう一つの部屋へと次々に移動させられていく無限ホテルのお客と同じように、1人の人間から、もう1人の人間へと、次々に受け渡されていく、無限世界のお客なのです。

 


伝統的な経済学は、資本主義経済を、有限なモノやサービスを市場での交換を通じて、人々の間に分配していく仕組みとして捉えてきました。

だが、その市場交換を媒介する貨幣、それ自体は、有限世界での論理ではなく、無限世界の論理に従う存在として、伝統的経済学の理論的枠組みを超越しているのです。

 


貨幣の思想家

ポリスの中で、医者や靴屋や大工や農民といった異なった職業を持つ市民が、物々交換の困難を克服し、お互いの間で交換関係を正しく維持するためには、交換されるべき異なったものが「等価される」必要があると、アリストテレスは論じます。

こうした目的のために、「貨幣が発生した」と、アリストテレスが主張します。

アリストテレスこそ、何の価値がないものでも、貨幣として使われると、物の価値を、はるかに超える抽象的な価値を持ってしまうこと、歴史上最初に、しかもその2000年後のスコットランドに、ジョン・ローという人物が現れるまで、最も明晰な形で定式化した人間であったのです。

 


「資本主義」を発見

貨幣が工夫された当初は、それは交換の手段としてのみ使われていたはずです。

しかしながら、貨幣交換が拡大していくと、その「手段」と「目的」とが混同されるようになるのだと、アリストテレスは述べます。

「貨幣」とは、本来「モノとの交換のために発生した」はずなのに、人々は「貨幣、それ自体を目的とする」ようになる。

「貨幣が交換の出発点であり、目的点でもある」財獲得術が生まれてしまうというのです。

それが「商人術」と呼ばれる経済活動に他なりません。

 


無限への欲望

「無限への欲望」ーー人間は、貨幣の案出によって、まさに無限への欲望を手にしてしまったというわけです。

交換の出発点も目的点も同じ貨幣である商人術の場合、違いは量でしかありません。

それは必然的に、目的点の紙幣を出発点の貨幣の量よりも拡大させることを目的とすることになる。

しかも、その目的は、新たな出発点として、さらなる貨幣の量の拡大を目指してしまう。

すなわち、いっそう大きな貨幣の量を永久に求め続ける「貨幣の無限の増殖」が始まってしまうのです。

要するに、商人術とは現在では「資本主義」と呼ばれている経済活動に他なりません。

結局、アリストテレスは、相対立する2種類の「財獲得術」をポリスの中に見出したことになります。

1つは「家政術」の1部としての財獲得術です。

これは、あくまでも共同体の必要を満たすための経済活動であり、たとえ貨幣が使われたとしても、共同体に必要なものを獲得するための手段でしかありません。

共同体とは持続的ですから、それによって蓄積される富も、必然的に「有限」の大きさしかないはずです。

もう一つの「財獲得術」は「商人術」それ自体です。

それは、共同体の目的に反して、貨幣の増殖、それ自体を目的とする経済活動です。

それによって蓄積される富は、まさに「無限」に向かって拡大していくのです。

 


『貨幣と商業』を読む

1705年に出版された『貨幣と商業』は、貨幣が大いに不足している国家の困難の解決に向けていくつかの提案がある」という文章から始まります。

ローは、故国のスコットランドが貧困で苦しんでいる最大の原因は、貨幣供給量が不十分なために有効需要が不足していることだという結論に達し、その解決のために新たな貨幣供給の方法を提案したのです。

あれから3世紀近く経った今日、私たちがその中で生きている金融システムは、まさに「ローのシステム」そのものに他なりません。

これは、一方で、実体経済の効率性を大いに高める役割を果たすとともに、他方で、実体経済の不安定性も大いに高めるという、「効率性と安定性の二律背反」を本質的に背負っているシステムでもあるのです。

 


私(チキハ)の感想です。

「言語、法、貨幣」は、私の外側にある。

これを活用できる能力は遺伝子にあるというのは、面白かった。

ここに書かれているように、今の貨幣制度は完璧では無い。

大きく変わるという人もいるけれど、どんな仕組みになっていくのだろう。